活動報告

そろそろこのレコードたちと別れよう

高校生の頃から社会人になるまでわずかなお小遣いを切り取って手に入れたアナログレコードが200枚程度あるのです。ポップスのレコードも40〜50あったのですが、昨夏、とあるバザーに寄付しました。残っているのは、9割がジャズのレコードです。
 以前にも「お譲りするよ」とFacebookに掲載したら「是非に」という方がお一人いらっしゃったのですがその後、音沙汰なくそのままになっています。オークションやメルカリに出品すればとも思うのですが、煩わしいのです。何より、保存状態が悪く、レコードのジャケットは傷だらけです。それほど高い値段がつかないのですよ
 とはいえ、サブスク(例Spotify)では聴けない演奏があります。

 レコードは、演奏を固定して再現可能にしているのですが、モダンジャスといえばアドリブですよね。ジャズマンは、楽譜なし打ち合わせなしでその夜のジャムセッションをアドリブで創り上げるということをしているのです。それは一回きりのスリリングなことで「もう一度」という再現を嫌うこともあったようです(初期のチャーリーパーカー)。それでもジャズが小さなライブハウスからより社会化されることでエンターティメントとして高く評価され、多くのジャズマンがスタジオでジャムセッションをするようになったようです。

 モダンジャズの歴史は、アメリカのドラッグと人種差別の歴史です。素敵な奏法を編み出し 尊敬を集めているジャズマンがドラッグをしていると後進のジャズマンも「ドラッグをすれば、自分にもあんな演奏ができる」と勘違いしてジャズマンにドラッグが蔓延していったようです。高校生の頃にロックやエレキギターを不良の音楽としてたのは同様の危険があったからなんでしょうね。

 ドラッグを必要とした理由にはならないのですが、根深いアメリカの人種差別が黒人ジャズマンを追い詰めていたようです。アルバムがヒットしてジャズマンとして地位や名誉を得ていても、レストランやホテルで差別を受け、あまつさえ自分がメインで出演してジャズクラブでさえ差別されたというのです。

黒人のバンドに白人奏者が加入したり、白人の音楽を演奏すること自体が黒人に対する裏切りと差別を受けていたようです。そうして多くのジャズマンがドラッグに逃げ込み、早死にしているのですよね

 サッチモで知られるルイ・アームストロングも一時期、ドラッグを使っていたようです。日本だとドラッグに一度でも染まると芸能界から追放されたり、その人の楽曲でさえ敬遠されるのですが、ドラッグで亡くなったジャズメンの演奏は、テレビ番組やカフェのBGMでしょっちゅう耳にしますが、これはどういう切り分け方なんでしょうね

 そして、この中からお気に入りを何枚か残して、このレコードたちに針を落として、聴いてくださる方にお譲りしようと決心しました。お譲りすることより、このレコードを選別することの方が難しいのです。元々、コレクションとして秩序やテーマがありません。手に入れた時代は、1968年以降ですからスイングジャズのレコードは、SPレコード時代の復刻盤、あるいはちょっと新しくても生まれた頃(1950年代)のモダンジャズの復刻版(マイルスディビスがジャズのミリオンセラーアルバム「Kind O fBlue」を発表したのが1958年、BeBopの創始者チャーリーパーカーはは1955年に享年34歳 ドラッグとアルコール中毒で死去)。

 高校生の頃は、ラジオや雑誌の情報で興味のある奏者やレコードアルバム。当時もレコードは高価なものですから、稀に再販盤などのセール品を見つけてお金があればということです。奏者の名前で選んだり、アルバムジャケットの写真が素敵だから選んだのもあります。ただ、モダンジャズブームのピークが過ぎて、コレクターのための復刻盤がやたらと発売された時期があって、録音状態の悪いアルバムやお目当ての奏者がバックにちょこっと演奏しているというだけのもあり、なんだか騙されたような気がしたこともありました。

 さて、この中から「お気に入り」を選別するのですが、こうやって広げてみると忘れているレコードがありませんでした。どれも自分で手に入れた記憶がありました。「2〜3回しか聴いてないなぁ」とか「これは何度も何度も聴いたなぁ」というのもありますね。「もう一度、聴きたい」というのであれば「あれも、これも」ですねぇ。「誰にも渡したくない」と思うのはありませんが同じように「とっておきたい」と思うのもたくさんあります。これは、自分では決められないので譲り受ける方に決めていただいて、「これが欲しい」という人の手に渡るのが最善の策だと思います。

お気持ちがあれば 和泉屋与兵衛の家賃の援助をお願いしますね

それから、梱包して送るのが煩わしいので、ご面倒でも受け取りに来てくださいな

よろしくお願いします。見知らぬ人にはちょっと抵抗があります

2024年10月15日記 和泉屋与兵衛 代表 西井啓二

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