和泉屋与兵衛とは

和泉屋与兵衛は何もしない。和泉屋与兵衛では何もしなくていい。

長く子どもの福祉を仕事として取り組んできた管理人が仕事を離れて感じたことがあります。「仕事として施設長だとか所長とかの役割を果たしてきたのだけど、何か役に立ったのだろうか?」、「所詮は,子ども自身の成長や回復の力に頼っていただけなんじゃないだろうか?」、「子どもが求めていたのはそんなことなのだろうか?」。そんな疑問を抱くようになるとネットを含めて、様々なメディアの報道や議論がむなしくなってきました。

何もしない。指導とか治療、教育や説教をしなければ子どもも大人ももっと気持ちに余裕をもって過ごすことができるのじゃないだろうか。そんな時間と空間を作りたい。

和泉屋与兵衛は何もしない時間と空間を提供します。

もしも、訪れた人が「何もしない時間と空間」に意味を見いだすことができれば、それはそれで素晴らしいことです。

和泉屋与兵衛 代表 西井啓二(にしいけいじ)自己紹介と略歴

1951(昭和26年)12月 生まれ、男性、奈良県で出生。大阪府和泉市で育ちました。屋号の「和泉屋与兵衛」は育ったのが泉州ということも関係しています。

 1974(昭和49)年に鳥取県職員となり、心理判定員として鳥取県中央児童相談所に着任。その後、児童相談所、県庁、知的障がい児施設での仕事を経験しました。

 児童指導員、児童福祉司を経て、1995(平成7)年に鳥取県立皆成学園に指導部長として着任の後「子どもの主体性を尊重する」ことをテーマに様々な活動をしました。子どもたちは、最初は戸惑いを見せましたが、素晴らしい力を発揮しました。皆成学園では児童指導員だった経験がありましたので2度目の赴任でした。間に児童相談所(鳥取県福祉相談センター)で児童福祉司をしていたのですが、偶然にも当時鳥取大学でフレネ教育の研究と活動をしていらっしゃった若狭藏之助先生と交流があり、お話を聴く中で「子どもの持っている力」をどのようにして引き出すかは、子どもの施設が学校や家庭をモデルにしていては無理だと感じました。子どもの自治活動を応援することで子どもたちはどんどん力を発揮してくれたのは、とても良い思い出になっています。若狭藏之助先生に「西井さんは日本のミッシェル・バレだ」と褒められたことは素直にうれしかったです。

 2000(平成12)年に鳥取県立積善学園(盲ろうあ児施設)に次長兼養護部長に人事異動しました。ここでも子どもたちの意見を受け止めて、自治を進めたことを記憶しています。当時、インターネットが急速に普及し始めたころで子どもたち1人に1台のパソコンを用意しました。後になって、「世界への扉が開らかれた。」と語ってくれたのは、このころに出会った米田怜美(よねださとみ)さんは、「子どもと施設の権利擁護全国ワークショップ」( 2011(平成23)年から2019(令和元)年まで続きました。)の実行委員長を務めています。 

 鳥取県立積善学園は、2003(平成15)年に児童福祉施設としての歴史を閉じ、3度目の鳥取県立皆成学園に次長兼育成課長、同時に鳥取県立中部療育園(肢体不自由児通園施設)次長として異動しました。中部療育園は、皆成学園に間借りをして新規開設、その後園舎の新築に伴って翌年の2004(平成16)年には、鳥取県立中部療育園の専任の次長として異動しました。

 2005(平成17)年には、鳥取県立皆成学園園長として4回目の着任をしています。それまで貯めていた「施設長になったらこうしたい。」という希望が実現したときです。短期間ですが鳥取県立中部療育園の施設長を兼務していました。

2008(平成20)年に鳥取県福祉相談センター所長兼鳥取県中央児童相談所長兼鳥取県婦人相談所長に異動して、子どもの相談分野に着地しました。すでに子どもの虐待は、重大な社会問題となっており、最前線で活躍する児童福祉司の皆さんを支えるのが精一杯でした。幸い在任中には、なんとか重大事案の発生を防ぐことができましたが、施設内虐待の顕在化やDV被害者のサポートなど多忙な時代を過ごしました。

 2012(平成24)年に公務員としての賞味期限が切れたことで当時の鳥取こども学園長で現法人理事長の藤野興一さんに誘われて、鳥取こども学園希望館(児童心理治療施設)館長をお引き受けして職業人としての再スタートをしています。館長は希望館に付置されている児童家庭支援センターの所長を兼務するのですが、あまりお役に立った記憶がないのが申し訳ないと思っています。

 希望館の館長をお引き受けすると自動的に社会福祉法人鳥取こども学園理事となるのですが、あれこれに口を挟み,法人が経営する障害福祉サービス「はまむら作業所」や地域若者サポートステーション事業の鳥取と米子の「若者サポートステーション」のお手伝いをさせていただいたことは貴重な経験です。

 なにかを目指して取り組んできたことではありませんが、なんとなく「鳥取養育研究所」(スタート時は「鳥取養育研究会」)や子どもの虐待防止ネットワーク鳥取(CAPTA)のお手伝いをさせていただいています。鳥取大学地域学部で保育士養成のお手伝いもさせていただいています。

 2020(令和2)年3月で社会福祉法人鳥取こども学園理事を辞して、本当のフリーランスになりました。「和泉屋与兵衛」の活動に専念しています。